2005年08月25日

今日、いつも通る定食屋さんの前にこう書いてあった。
「ニラレバ炒め」と。「レバニラ炒め」とどう違うのだろうか。真剣に悩んでいる。

「カレーライス」と「ライスカレー」とか、
「南京豆」と「落花生」と「ピーナッツ」または「ピーナツ」とかの単なる呼称の問題なのだろうか。

それとも、もっと文化人類学的な偉大なる問題なのだろうか。


Googleで検索してみると、
「レバニラ炒め」 17,700件
「ニラレバ炒め」  5,140件

ということで3.5倍もの大差で「レバニラ」に軍配が上がった。
地域によって呼称が違うのだろうか・・・?それとも・・・?

2005年08月22日

※フィクション

長野県のガラス張り知事さんは、

数年前、千葉市と四街道市が合併するかしないかでもめているときに、
わざわざ四街道にまで来て合併反対演説をした。

長野と千葉にどんな関係があるのだろう。
長野県知事が何で千葉のことに首を突っ込むんだろう。

このとき抱いた"不信感"は今でも拭えず。

--

今度は、新党を作るという。

共同通信からは、<長野に衝撃 「県民無視の売名」批判も>(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050821-00000115-kyodo-pol)という記事が出た。

彼は兼ねてから「県政から国を変える」と聞こえのいいことを言っているが、彼自身の活動軸がどこにあるのかさっぱり分からない。

あんまり度の過ぎたパフォーマンスをしていると、そのツケは自分に還って・・・・・・?

2005年08月20日

「のび太と射撃」

今回のは、分かり難いと言えば分かり難い。
「静香の入浴シーン」と比べてキャッチーな印象はない。

ただ、「のび太と射撃」は切っても切り離せない関係にある。
いつかはやらねばならぬことだった。

2005年08月19日

改革のバーゲンセール状態。

そもそも、改革ってどういう意味だ。
辞書で調べてみた。

かいかく 【改革】
基盤は維持しつつ、社会制度や機構・組織などを改め変えること。

そうだったのか!「基盤は変えない」のか。

・・・ということは、○○党が「改革」を唱えるのはそもそもおかしいんだな。
あれの目指しているのは「革命」だもんな。

だから「反対」しているのか。

最近、画像掲載基準というページを公開した。

一部で(散々議論されてきたはずの)ネット上での著作権論議が再燃している。大量の画像を掲載しているサイトとして、こういう騒ぎに黙って巻き込まれるのは得策ではないと考え、大急ぎで作成した。

そこには、「他媒体からの転載画像を使わない」という当たり前のことと、街角の写真は著作権法第46条に基づく「公開の美術」の範疇で掲載すること、などの重要な事項を明記しておいた。少々スタンドプレイっぽいが、これは私の信念である。

--
このサイトでよくやる、「街角の看板の画像掲載」を「転載」と思う方がいるようだが、それは全く違う。写真は撮影者の著作物である。看板をそのまま複製してはじめて、「転載」になるのだ。

自分で撮影した街角の写真は、撮影者の著作物である。そして看板は「公開の美術」であるから、それを「撮影」して「公開」する限りにおいてはその写真の権利は管理者にあり、その点で何らの責も問われない。これは著作権法第46条を読めば明白なことである。

(著作権法第46条)
美術の著作物でその原作品が前条第二項に規定する屋外の場所(編注;街路、公園その他一般公衆に開放されている屋外の場所又は建造物の外壁その他一般公衆の見やすい屋外の場所)に恒常的に設置されているもの又は建築の著作物は、次に掲げる場合を除き、いずれの方法によるかを問わず、利用することができる。
一  彫刻を増製し、又はその増製物の譲渡により公衆に提供する場合
二  建築の著作物を建築により複製し、又はその複製物の譲渡により公衆に提供する場合
三  前条第二項に規定する屋外の場所に恒常的に設置するために複製する場合
四  専ら美術の著作物の複製物の販売を目的として複製し、又はその複製物を販売する場合

すなわち、看板の画像掲載は法的に担保されているのである。漫画やWebサイトから画像を引用ではなく転載して営利目的のコンテンツを作る、どこかのケースとは全く違うのだ。

画像を掲載する行為といっても、「自分で」やるのと「脱法で」やるのとでは、また「非営利で」やるのと「営利目的で」やるのとでは全く意味が異なる。志向あるいは思考回路が全く異なるのである。

そもそも、街角ウォッチング系のサイトはごまんとある。表現手法がいくつもあるとは思えない。
様々な制約の中、自分で撮影した画像で勝負しているのに、それをたまたま表現手法が似ているだけでどこかの<亜流扱い>されるのであればそれは誠に不本意である。

2005年08月18日

初代「ドラゴンボール」は、日本が最もイケイケドンドンだった時期に放映された。
1986年から1989年だから、まさにドンピシャである。

あのときのエンディング、「ロマンティックあげるよ」がいい。
日本の絶頂を感じさせるメロディだ。

20年前に心が揺り戻される・・・

2005年08月17日

最近、やたらと「当選」するんだよなぁ >スパムメール

「おめでとうございます」とか
「あなたは選ばれた人です」とか

意識が朦朧としてたら思わず開いてしまいそうだ。
そういえば今日は45通も当選メールが来てたぜ!

Readmeのランキング上位50サイトのうち、純粋なテキストサイトの比率を数えてみた。
(なお、集計日次とサイト名はすべて伏せる)

Readmeの規約には
>日記・エッセイ・小説など、「読み物」を対象としたランキングサイトです。
・・と書いてある。しかし実際は・・?

--- ■=ウェブログ

1.孫ニュースサイト(翻訳系) ■
2.孫ニュースサイト(画像コメント系)■
3.ニュースサイト ■
4.孫ニュースサイト(画像コメント系)■
5.孫ニュースサイト(列挙コメント)+パロディ
6.孫ニュースサイト(翻訳系)■
7.日記系ニュースサイト
8.ゲームレビューサイト(一部ニュースサイト)
9.テキストサイト(画像系)
10.2chコピペ系サイト ■

上位10位のうち、純粋な意味での「テキストサイト」は皆無。しかもウェブログが6割を占めるという結果に。

11.孫ニュースサイト(画像コメント系)■
12.孫ニュースサイト(列挙コメント系)
13.孫ニュースサイト(列挙コメント系)
14.孫ニュースサイト(列挙コメント系)
15.ゲームレビューサイト(攻略系)
16.孫ニュースサイト(翻訳系)■
17.テキストサイト(日記系)■
18.孫ニュースサイト(列挙コメント系)
19.2chコピペ系サイト ■
20.2chコピペ系サイト ■

初めて、純粋な意味での「テキストサイト」がランクイン。といってもたったの1サイトのみ。

21.ゲームレビューサイト(攻略系)
22.パロディ・画像系サイト■
23.孫ニュースサイト(列挙コメント系)
24.孫ニュースサイト(画像コメント系)+パロディ画像
25.データベース
26.孫ニュースサイト(列挙コメント系)
27.孫ニュースサイト(列挙コメント系)■
28.テキストサイト(時事評論系)■
29.孫ニュースサイト(コメント系)
30.テキストサイト(論評系)■

明らかに「テキストサイト」でないものもいくつか。
相変わらず純粋な「テキストサイト」は少ない。

31.孫ニュースサイト(翻訳系)■
32.絵日記
33.画像サイト
34.孫ニュースサイト(列挙コメント系)
35.テキストサイト(ネタ日記系)
36.孫ニュースサイト(画像コメント系)■
37.2chコピペ系サイト ■
38.テキストサイト(研究系)■
39.2chコピペ系サイト ■
40.テキストサイト(ジャンル分け不能)■

定評のあるテキストサイトがちらりほらり。しかし相変わらずウェブログが多いな。

41.テキストサイト(レビュー系)
42.孫ニュースサイト(画像コメント系)■
43.CGI配布サイト
44.ニュースサイト
45.テキストサイト(ネタ日記系)
46.孫ニュースサイト(列挙コメント系)
47.テキストサイト(日記系)
48.孫ニュースサイト(列挙コメント系)
49.孫ニュースサイト(アダルト)
50.孫ニュースサイト(列挙コメント系)

ウェブログ激減。
---

ここまでの集計をすると、

テキストサイト率: 30%
ニュースサイト率: 56%(うち画像系は23%)

という結果に。
いかに「読み物」だけで勝負することが難しいか。

なお、ウェブログ率は44%でした。
いかにウェブログが普及しているか。この数字、今後ますます伸びるでしょう。

因みに、気になったのは「2chのコピペサイト」の急増です。上位50サイトだけで10%を占める大所帯に成長しています。列挙系孫ニュースサイトと比較して、「巡回するページ数が少ない」「比較的少ないネタ数で更新の間が持つ」そして、これが一番大事なのですが、「サクサク読める(リンク元に飛ぶ必要がない)」ことなどが人気の原因と分析していますがいかがなものでしょうか。

それから、翻訳系もかなり多いようです。8%という数字はちょっと驚きです。ネタ探しに加えて翻訳のセンスも問われますので、結構時間とスキルが要求されるものと思われます。その手間がアクセスにしっかり反映されています。

最近、「書籍化」「漫画化」「ドラマ化」「映画化」と絶好調の「実録鬼嫁日記」。

余りに流行っているのではじめて読んでみると、過去ログがない。どうも、「残りは買って読んでね」ということらしい。もともと有料メルマガからスタートした「鬼嫁」なので、ウェブログで全部のログが読めないのはデフォルトと考えてもいいかもしれない。なお、後述するが「我が妻との闘争」というサイトに似ている印象を持った。

この流行ぶりなら、
「実録 青白息子日記 〜部屋から出てこない〜」
「実録 ガングロ娘日記 〜帰宅は深夜2時〜」
「実録 教室日記 〜5人に1人が不登校〜」
「実録 上司日記 〜エクセル代わります〜」
「実録 キャバクラ日記 〜あの社長がこんなことを〜」
「実録 政界日記 〜全部秘書のせいです〜」
「実録 プロ市民日記 〜何でも反対、とにかく反対〜」

・・・と、色んな実録ウェブログが出てきそうだ。

特に特殊な業界や種族にいる方、これはビジネスチャンスですよ。

「実録 ヲタク日記 〜リュックを捨てて街に出よう〜」
「実録 引き篭もり日記 〜お店で声が出ない〜」

「実録 ネット弁慶日記 〜実際は小心者〜」

「実録 研修医日記 〜最近は睡眠3時間〜」
「実録 女医日記 〜いつもイライラしてるように見えるのはわざとよ〜」

「実録 女性教師日記 〜しっかり出来ないと引っぱたくわよ〜」
「実録 婦人警官日記 〜全員タイホよ〜」

「実録 裁判官日記 〜国には逆らえない〜」

「実録 反対派日記 〜棄権した奴ってずるいよな〜」

とかね。


さて、これと似た題材で、こういうものがある。
「我が妻との闘争」というサイトだ。こちらは歴史が古い。

「鬼嫁」を、「新しい発想」「こういうコンテンツを待っていた」と論評する人がいたが、こっちの方が歴史が古いのである。念のため。
http://www.117.ne.jp/~kure/waga/yometop.html
こちらも書籍化したし、蛭子さんの漫画つきで連載もしているとか。

2005年08月16日

人の日記を読むのが面白い
・・と気付いたのは、まさにインターネットのお陰だった。

昔は、「人の日記なんて誰が読むのか」「絶対に読んでも意味ない」と思っていたものだったが、
面白い日記はしっかり存在する。

意外と、「今日は新橋でランチ。カレーがおいしかったけど、ナンが多すぎて死ぬかと思った」とかそういう(どうでもいい)内容でも、書く人が書けば結構面白いものだ。

しかも有名人の日記よりもむしろ、一般人の日記の方が面白かったりする。

有名人の日記は、どうしても有名人の自伝と同じように「どうせゴーストライターが書いているんだろ」などと思ってしまうので、心から楽しめないのだ。いつも「第二の著者」の存在を疑ってしまう。

そういう意味では、個人の日記は作家のエッセイのように、その個人のそのままが現れていて面白いと思う。

(ただ思ったことを書いただけ)

何十回も同じことを書くけれども、やっぱり「ブログ」という言い方はおかしい。我慢できない。
そろそろ「ブログをやめてウェブログって言おう同盟」くらい出てきてもおかしくないと思う。

そもそも「Web」を「Log(記録)」するのがウェブログだ。略すなら「ウェブロ」でよかったのでは(それも相当ダサい気がするけど)。

どこをどう縮めたら「ブログ」なんていう気持ち悪い略称になるのか。もはや「ブログ」が普通の言い方になってしまった。ブログ・・・

確かに、画像の転載やどっかの文章のコピペだらけで「無ログ(ブログ)」になってしまったウェブログは多数存在するけれど・・・

いくらなんでも「ブログ」という言い方はなぁ・・・ブログ・・・

最近、日常会話でも「ブログ」と聞くようになってびっくり。一部の人だけが話す言葉だと思ったら、テレビでも、新聞でも、喫茶店でも、電車の中でも、「ブログ」という言葉が踊っている。

ここまで「ブログ」がメジャーになると、もはやその「言い方」を批判する人間は道化になってしまう。
どんなに大声で「ブログって言い方、気に喰わない」といっても、「もう一度ウェブログって言おうぜ」と怒鳴っても、無意味なのだ。ただ、「アイツは気狂いだ」と言われて終わり。

・・・ということで、こんな便所の壁というか、チラシの裏みたいなところに書いているわけだけれども、やっぱり「ブログ」という言い方には虫唾が走る。

誰か、同じ考えを持っている人はいないかしら。

・・・いた・・・
「ブログって名前なんとかなんねーのか」スレ
http://pc8.2ch.net/test/read.cgi/blog/1092293706/

---

1 Name: TrackBack(774) [] Date: 04/08/12 15:55 ID: y5jH+sGl Be:
別の名前にしたい

5 Name: Trackback(774) [] Date: 04/08/12 19:46 ID: Z51VAokm Be:
ウェブログでいいじゃねえか。
略すほどの長さじゃねえし。

15 Name: Trackback(774) [sage] Date: 04/08/17 03:35 ID: N9GvedLi Be:
ブログ板なんて恥ずかしい名前やめて
Weblog板にしてほしいよ、せめて

ブログって略称は欧米でも半ば馬鹿にされてる語で
この語自体馬鹿っぽいヤツが「We+Blogでブログって言おう!」と恥ずかしいこと言い出したもの

なんだか国内ではブログにそういうちょっとアレなニュアンスがあるのは伝わってない感じ
---

やっぱり同士がいるのですよ。極々少数だけど。

2005年08月15日

「最近歯医者さんに凝ってますね」と言われる。
そうなのだ。街角の歯医者さんが大好き。死ぬほど好き。

しつこいほど歯医者関連の写真を載せているので、「あ、コイツ歯医者にハマってやがる」と思った方も多いのではないか。その通りです。

面白い名前の看板が好き−

バーや飲食店などにその趣の看板が多いので(必然的に写真も貯まる)、このサイトでも度々ご紹介してきたが、歯医者というのはなかなか・・・

やっぱり歯医者さんは「真面目」なのだ。殆どが真面目な看板ばかり。
でも、たまに珠玉のヒットがあるから侮れない。好評だった「ミス〜」はその典型だと思う。

「真面目な歯医者さんがこんな看板を掲げて営業してるっ」という事実。
こういうギャップが大事なんだ。何でも。

--
他にもしつこく追い続けているテーマがある。
「自動販売機」と「三角ポール」だ。

##
自販機は見れば見るほどハマる。外見も魅力だが、何よりも中身が面白すぎるのだ。
是非、当サイトの過去ログで自販機に執拗に迫る私の醜態を眺めていただきたい。

今年の自販機ネタピックアップ

● 2005/08/14 (再掲モノ)

2005/07/14(まさかのエンプティー)

2005/04/28(会津磐梯山)

2005/04/29(自販機特集※一部再掲モノ)

いずれもなかなか好評だった。とくに4月29日のは。
ただこの頃は精神的に余裕が無くて・・・今ならもう少し面白くかけたような・・・勿体無いなぁ

##
三角ポールも見れば見るほどハマる。

私の三角ポール遍歴の一編を語るページはこちら (プチ好評だった記事)
http://uuseizin.web.infoseek.co.jp/hen/sp.htm
(「戻る」ボタンで戻ってください)

これは、まあ、「分かる人にだけ分かっていただければいい・・・」と、そんな気分で書いたのだけど、それが却ってよかったのか、わざわざメールで「よかった」と言ってくださる方もいた。

こういう方面(路上付属物を観察する趣味のこと)の需要は確実にあるのだけど、どうしてもそれはメジャーにはなり難い。メジャーにするよう努力しないと、やっぱりずっと「ニッチ」で「マイナー」な趣味のままなのだけど、その観察がメジャーになるのも寂しい
・・・そんな微妙な気持ちがある。

2005年08月14日

ensin.jpg

モノレールを下から見上げてみた。

◆最近の脊髄反射的に頭に血が上ったこと(リンク元失念)

●「読書感想文」をネットでパクれ、という記事を平気で載せる雑誌が

ネット上の書評を使って「人の感想」を適当に継ぎ剥ぎするとラク、みたいな読者の投稿を載せている雑誌があるとかないとか。ティーン雑誌だったか。

これをやっている人は物凄く多いと思うが、
一次著作者がこういう見識だから、誰もこれを「盗作(窃盗)」だと思わないんだ。

人の文章をそのまま継ぎはぎして自分のもの(この場合は成績)にするなんて、犯罪そのものじゃないか。もっと一次著作者に対するリスペクトというものがないとなぁ。本当に。

なんて、本気で怒ったってどうしようもない。

正直者がバカを見る世の中なのだ。要領よくあれとこれをくっつけて新しい(ように見える)モノをつくる振りをする人が得をするのだ。こういうのを、「利口な人」というらしい。

むしろそれを好まない真摯な人を世の中では「バカ」というらしいのだ。

---独り言
ネットに適当に拾った転載画像(引用でもなんでもない)を載っけて客呼んでグッズ売ってイベント開いて広告募集して金儲けしてるのに「非営利個人サイトですー」と開き直るテキストサイト?もあって格好いいなー

人の画像や文章の面白いところだけを自在に転載して、アクセス集めて広告収入ゲット、本も出して、グッズも売って、イベント開いて・・なんて、一番効率のいい金儲けだよなぁ。

こういうのはゴネ得だから。著作権者からクレームが来ても読者味方につけて「んだオラ」って威嚇すれば面倒くさくなって(相手は忙しい企業だから)いちいち相手をしないんもんな。

よっぽど腹に据えかねたときか(キャラを性的に弄ぶとか)、転載が余りにも酷いときとか、そうでもない限り企業は動かないよな。

だからそこに付け込んで金儲けをしようとする利口な人が出てくるんだな。
---

●やっぱり星野氏に監督就任を招請していた巨?人

もはやアンチすら何とも思わない迷走ぶり。

過去ログ寸評

タイトルが「異色」
締めが「何となく、歯に悪そうですね」

パンチが弱い、とは自分でも思った。タイトルと締めのコメントがかみ合っていないのだ。
こういうことは、よくある。変に考えるといつもそうだ。

タイトルが「異色」なら、締めのコメントは「見たことのない組み合わせですね!」にするべきだったのだ(見た目上の違いに着目)。それでもよかったが、それだと綺麗にまとまりすぎていて「つまらない」。僕としては「コーラと"歯"医者」という組み合わせ箇所(意味上の差異)に強烈なパワーを感じたので、ここを何としてでも強調したかった。

だからコメントは、「何となく、歯に悪そう」
・・・と書いた。実際そうだもの。

本当はもっと激しく書けたはずだが、別にコーラに恨みは無いのでこれくらいのことしか書けなかったのだ。果たしてコーラが本当に歯に悪いのかは知らないという弱みもある。断定したら怒られるかもしれないしな。

だからタイトルを「異色」にしてこれは「コーラと歯医者と言う表面上の組み合わせが面白いんですよ」・・と逃げておいて、コメントで「コーラと歯医者の意味上の取り合わせが異質なんだよ」、ということを強調するようにした(結局異質を強調している点では同じことだけどその解釈は微妙に違う)。

要するに表面上の異質性ではなく内容上の異質性に着目してこれを書いたのだけれども、それを見かけ上「表面上の問題」だけに昇華させようとして大失敗したということです。

タイトルと最後のコメントが一致すればもっと面白くなったと思うのだけど、充分に絡み合わず、完璧に料理しきれず。

別の案としては、
タイトルが「タイアップ」
締めが「コーラを飲んだ後は歯医者へ・・見事なコラボレーションですね」
というのがあった。

これは意味上の差異だけに絞って書いたものだけれど、やりすぎか。
ここまで出来なかったが、よく考えるとこっちの方が面白かったかも。

また別の案としては、
タイトルが「結託」
締めが「見事な分業ですね」

これも意味上の差異に絞っているが、やっぱり嫌味になっちゃうんだよな。
というかこれだと「??」って思う方も出てきそうだ。殆どその状況(表面上の差異)を説明していないから。

本当はこれくらい簡潔に決まるといいのだけど、なかなか・・・
自分で「これだ」と思っても、相手が「そうだ」とうなずいてくれることは殆ど無いわけで・・・

2005年08月13日

やっぱりどう考えても

「ブログ」と「ウェブログ」だったら
後者の語感の方がいい。

どうしてこうなってしまったのか。

アクセスタイム仮説

<サイトの1年間>
●アクセスが激減する時期
→ 年末年始・ゴールデンウィーク・お盆休み(インターネット人口激減)

●アクセスが増える時期
→ 年度始め(インターネット人口が増える)
→ 夏休み入りの1週間くらい(在宅者[小学生〜大学生]の急増)

<サイトの1週間>
●アクセスの多い日
→月曜日、金曜日

●アクセスの少ない日
→水曜日、土曜日

<サイトの1ヶ月>
●アクセスの多い月
??

●アクセスの少ない月
??

<サイトの1日>
●アクセスの多い時間帯
22:00〜1:00

●アクセスの少ない時間帯
4:00〜5:00
10:00〜12:00

●意外とアクセスの多い時間帯
12:00前後、15:00
(お昼休み、ショートブレイク、(学校の)帰宅時間などの理由が考えられる)

以上は仮説。経験上納得できるものもあれば、統計上そうとしか考えられないが因果関係がよく分からないものも含む。

とりあえずこのサイトはこんな感じ、かな。

2005年08月11日

東京駅というと、普通は
tokyo02.jpg
これを思い浮かべる(丸ノ内口)。


あるいは、
tokyo02.jpg
これを思い浮かべる(八重洲口)。

だが、外れたところにひっそりと、こんな入口もある。
tokyo03.jpg
京葉口という。東京駅の丸ノ内口から歩いて300メートルほど。
時折、「え?ここが東京駅?」と怪訝な顔をして入る人も見かける。

「表の顔と裏の顔」
「朝の顔と夜の顔」

「サイト本編と編集雑記」

今回の選挙で、自民党の強みは「改革を実現しようとしたが失敗した」というおいしい構図が出来ていることだ。

前回書いたように、実は国民は「自民か民主か」に興味の中心がない。「今のままか改革をするのか」だけに興味がある(仮説)。

そうでなければ、民主躍進と同時に存在する小泉人気を説明できない。今の時代、「何かやってくれそう」という空気が重要なのだ。時代に合った空気や雰囲気を醸成できる政党が圧倒的に有利である。

自民の戦略ははっきりしている。全反対派に対抗馬を打ち出すと言うことは、すなわち「郵政民営化」を選挙の最大争点に持ってくる、ということである。郵政だけに焦点を絞って「改革を進めるのは自民党」と言い続ければ、国民は自民党があたかもあらゆることを「改革」すると錯覚する。だから自民党は、「郵政解散だ」と言い続ければそれだけ有利になる。

一方、最大のアキレス腱は首相の独断による頑固ともいえる解散劇そのものと思われた。ただ、首相は「自分はガリレオだ」と語ってその批判を薄めようとしている。「ガリレオ」−確かにそうとも受け取れるから、これはうまい戦略である。「頑固な首相」というマイナスイメージを多少なりとも和らげているのだ。元々メディアとの親和性が高い首相のフレーズであるから、このアピールは成功するだろう。

というかそもそも、国民はいち政党の内部分裂そのものに興味はない。小泉自民党が「改革」を打ち出す枠組みの中では、「反対派」が首相を批判すればするほど、小泉自民の株が上がる仕組みとなってしまった。

よって現時点で自民にとって最大の不安材料は「中央と地方の対立」である。反対派を抱える一部の県連などは従来の候補(反対派)を支援するケースもあると聞く。ただでさえ「抵抗勢力」の存在する(これが本流だったはずだが)政党である。旧来の方法に基づかない「小泉手法」にフラストレーションを抱える政治家も多いだろう。それが爆発すると、自民は首相の公約通り、分裂するかもしれない。

もっとも、分裂はチャンスでもある。小泉自民党による「反対派つぶし」がエスカレートすればするほど、自民のメディア露出度は高くなる。反対派がその手法に反対すればするほど自民のメディア露出度は高くなる。今回の選挙が「自民の中での争い」として注目されればされるほど、自民としてはチャンスを得ることにもなる。

民主の戦略はどうだろうか。民主は常に「政権交代」を選挙の最大争点に持ってくるが、今回は自民が分裂した上で解散した事実上の「棚から牡丹餅解散」であって、元々アピール要素が弱いのだ。だから「政権交代」に民主が値することを示すだけの論拠をしっかりと国民にアピールすることが必要となる。

ただ、そこまでの「理論武装」が出来ているかは甚だ疑問である。現時点での民主の強みは「政官財の癒着を失くせ」と"言える立場にある"、ということぐらいだ。野党は本質的に「言いたい放題」できるのだから、それだけでは強みとすら言えない。これは、選挙のたびに国民が「聞かされて」、食傷気味の「政治改革」「クリーンな政治」「政治刷新」というよくあるキャッチフレーズに過ぎないからだ。またいくら年金や税制、外交で自民を批判しても、票田である郵政関係労組に配慮するあまり、肝心要(かどうかは議論の余地があるが)の郵政"改革"に事実上反対したと言う厳然たる事実の前には、どうしてもこのキャッチコピーが霞む。

つまり民主最大のアキレス腱は、「郵政民営化に(事実上)反対した」という点だ。もし郵政を争点にすれば、郵政改革を真っ向から打ち出してくる自民に民主は勝てない公算が大きい。だから民主は、「郵政はそれほど大事ではない」と言い続けるしかない。

郵政民営化がどこまで大切なのかは議論の余地があるが、多くの人々は「何で自民党が"改革"を打ち出し、民主はそれに反対するのか」という疑問を持っている。ここで明確な説明が出来るかどうかが今回の選挙の重要なポイントの1つとなる。もし、「郵政はそれほど大事ではない」と主張するのであれば、「大事ではない」だけの明確な理由を述べる必要があるのだ。とはいえまさか「労組に配慮するため」などとは言えまい。

ということで民主は、自民が「郵政"改革"」を打ち出す以上、大方の予想に反して厳しい戦いを迫られそうである。そこにおける民主の戦略は何か。

直近でよく見る戦略は、<自民は「造反潰し」によって「抵抗勢力と戦う首相」という構図を打ち出しているだけ>と批判するキャンペーンである。要するに、自民党は既得権益の権化であって、「改革」できるのはごくごく一面、実際は「何も変わらない」と言いたいのである。

これはある面では正しい。自民が、郵政だけに焦点を絞って「改革を進めるのは自分達だ」と言い続ければ、国民は自民党があたかもあらゆることを「改革」するものだと錯覚する、ということは前述した。実際はもちろん、そんなことはないのである。

だが、ある面ではこの批判は自分の首を絞めることにも繋がるのだ。労組に媚びるあまり「郵政改革」を「それほど重要でない」と言い切っている民主である。結局自分達も特定の利益集団に配慮しなければいけないという意味では「自民と同じ穴の狢」である。

このことを意識してかせずかは分からないが、世論調査は面白い結果を打ち出している。

朝日の調査では、「自民中心」を望む人が38%、「民主中心」を望む人が28%、という結果が出ている。

日経の調査では、「自民中心」を望む人が47%、「民主中心」を望む人が31%、という結果が出ている。

前回の衆院選、参院選と大躍進した民主だが、ここへ来て急速に「厳しい判断」が見受けられるようになって来た。「改革」を打ち出すのが自民党そのものであるから、その改革に「反対」した格好の民主に向ける国民の目は厳しいのは当然だ。

いずれも10ポイント以上の大差である。民主がこれを覆すことが出来るのか、それとも自民が「改革」路線で勝つのか、非常に見ものだ。

今回の選挙は、小泉改革に賛成か反対か、を問う構図になっている(少なくとも自民党はその構図を戦略としている)。突き詰めれば「本当に改革をするのは誰か」を見極める政策論争であるが、「政権交代」そのものが主要な争点ではない(ように空気が形成されている)。「どの政党が政権を握っても実は何も変わらない」ということは誰もが薄々気付いている。だから、「小泉首相か岡田首相か」という選挙では実はない。単純に、「小泉首相にイエスかノーか」なのだ。

民主は前者の戦略を取らなければ選挙を戦えないが(小泉首相の改革は世論調査を見る限りは"支持"されているので、真っ向から政策に反対すると苦しい)、元々「抵抗勢力との戦い」をアピールしてきた自民は後者を打ち出すと実に有利である(内部での戦いはそのまま旧保守と新保守との政策論争=昨今のトレンド的論争を意味する。もちろん新保守をアピールすると強い)。

少しややこしい話になったが、つまり、自民は「小泉改革の是非を問う」ことを選挙の主眼にしているのに対し、民主は「政権交代の是非を問う」ことを選挙の主眼にしている。似ているようで少し論点が異なるので実に分かりにくいが、大切なことは時代の空気が「小泉改革の是非を問う」方向に向かっていることである。決して、「政権交代」を問う論調にはなっていない。

ということで今のところは自民の戦略が一歩リードである。これがどう転ぶかは分からない。民主がどうやって「政権交代」を争点化できるかが今回の選挙のキーであるような気がする。今のところ、「政権交代」はどう考えてもキーではないのだ。

そんな民主に求められるのは、

1)「郵政改革」に「反対」した事実への納得のいく説明(特に「何故郵政改革が重要でないのか」をはっきりと。労組との関係を抜きに説明できるわけがないので是非伺いたい)
2)仮に「政権交代」が実現しても参院では与野党が逆転しているという「ねじれ現象」にどう対処していくのかの明確な説明
3)自民に置換できるだけのはっきりとした政策ビジョンをしっかりと打ち出すこと

の3点である。これが出来なければ、国民の明確な支持を得ることは難しいだろう。

--補足--------

与党内の力配分による旧来政治は終わった。首相が党内の空気を読む(首相は党に隷属する)のではなく、党が首相についていく時代になったのだ。

だから今回は、首相の指導力に国民がイエスと言うか、ノーと言うか、という話になったのだ。上手くこの空気を読んだ首相は、早速、「過半数を取れなかったら退陣する」と主張した。国民に改革の是非を強く迫る高度なテクニックだと思う。

本来は「政権交代」を言い続ける民主の代表こそが、先陣を切って「過半数を取れなかったら退陣する」と言うべきだったのだ。そうなっていれば「政権交代」を(少なくとも国民に分かりやすい形で)争点にできたはずなのだが。実際に岡田代表が「退陣」発言をしたのは1日遅れであるから、自民に先手を打たれた格好である。つまり、折角「私も過半数を取れなかったら退陣する」と言っても、どうしても「後出し」の印象が濃くなってしまったのである。

これを民主がどうやって挽回するか、あるいは、自民がどうやって「改革」のイメージを国民に植え付けていくか、実に見ものなのだ。

----------------

利益配分の争いが主の政党政治では、どの政党が政権を握っても政治の本質は何も変わらない。

今の国家を動かしているのは結局、強靭な官僚組織である。この官僚組織を改革することは、今回の郵政民営化1つを見ても、全く容易ならざることである。

日本で一番優秀な頭脳集団を、法律から規制から何から何までを握っている頭脳集団を、素人の政治家が弄ろうとしてもなかなか一筋縄ではいかないのである。というより、国家官僚が指揮する「権益」をどこに配分するかの争いが日本の政治の本質である。権益を動かすのが政治家なら、その権益を支配するのは官僚である。

この仕組みを変えるとなると、明治以来の日本の仕組みそのものを全部解体しなければならなくなる。

・・と考えると、首相の言った「"これぐらいの改革"が出来なくて他にどんな改革ができる」という発言が途端に光彩を帯びてくる。

「死んでもいい」と言うくらいの強烈なリーダーシップがなければ「改革」なぞできるわけがないのだ。

本気で「改革」を言っているのか、口先だけの「改革アピール」なのか。この判断が非常に重要である。

厄介なのは、本気で「改革」と唱えていても、「実力不足」かもしれないことだ。何しろ相手は、明治以来の日本のシステムそのものだからだ。切り込むべき相手は、日本のトップレベルの頭脳集団だからだ。

「ヘーワ ヘーワ」とお経のように唱えていても平和は来ないのと同様、「カイカク カイカク」とお経のように唱えていても改革はできない。

虚しいことに、政党政治そのものが、既存の制度の上に成り立った利益の配分争いなのである。

その上に胡坐をかいて「カイカク」と唱えられても白けるばかり。本当にカイカクをしたければ、既得権益におんぶに抱っこの政党政治そのものをガラガラポンする必要があるのだ。

だから是非、与野党がねじれて欲しい。もっともっとねじれて、ぶち切れて、ぶっ壊れて欲しいと願うのである。

そういえば、民主党の票田である連合が自民党の「郵政反対派」を支援する、という面白いニュースを見た。「自民郵政族」ともからみ、おもしろい「ねじれ現象」を生み出しそうである。

そうだ、もっとねじれるべきなのだ。もっとねじれろ、ぶち切れろ!(極論)

その「過渡期」である今、「どの政党か選べ」と問うのは拷問である。今のままでは比例区に政党名を書けないので困ってしまう。とすると、白票を投じざるを得ないかもしれない(そうすると組織政党が有利になってしまうが)。

「改革をしようとしたらこき下ろされた」

マスメディアと親和性の高い我が宰相は、「郵政ガリレオ解散」と非常に分かりやすいスローガンを掲げて今度の選挙に臨む。


保守−革新の対立が無意味となった今、
重要な対立軸は 旧保守−新保守 である。

旧保守とは、既得権益を護る旧来型(弱者論理=国が護ってやる)の政治。
新保守とは、小さな政府作りを目指す(強者論理=夜警国家)ネオコン政治。

そのどちらを是とするかが、昨今の選挙における重要な争点である。

郵政民営化はまさにこれの好例だ。
郵政を国家の庇護の元に置くか、国家の庇護から手放すか

果たして一番重要なこと(つまり解散してまで国民に問うべきことなのか)であるかは議論の余地があるが、首相の言っていた「"これぐらいの改革"ができなくて他にどんな改革が出来る」という発言はまさにその通りである。

この国は、これからも「福祉国家」で行くのか。それとも、「夜警国家」となっていくのか。
国と地方併せて1000兆円の債務があるので選択肢は自ずと絞られるが、今回の選挙はまさにその選択を国民にストレートに問う選挙だと言っていい。

旧保守と新保守の対立。
この対立が「都市と地方」の対立として捉えられることも多い。

旧保守とは、都市の資産を地方に移転させる旧来型の弱者論理の政治のこと。
新保守とは、都市の資産は都市にしっかりと還元する強者論理の政治のこと。

もっとも、都市は地方に資金を供給するが、地方は都市に電力や食糧を供給している。都市と地方は、お互いに持ちつ持たれつの関係であることを忘れてはならないだろう。

とはいえ、都市のお金は明らかに地方に移転しすぎている。この格差を是正しない限り、この国はよくならない。この点で、都市と地方は対立していると言われる(通勤片道2時間、道路慢性大渋滞・鉄道の混雑率200%というのは絶対に狂っている。狭いホームでイライラする時間は、田舎のコンサートホールに吸い上げられているかもしれないのだ)。

地方は元々結束が強く、フリーライダーが発生しにくいから(つまり利害共同体だから)、政治向きの風土である。Aさんの利害とBさんの利害は一致する。農道が1本通れば、AさんもBさんも喜ぶのだ。おらが町に立派な博物館が出来れば、CさんもDさんも大喜びなのだ。

一方で都市は、「隣は何をする人ぞ」という社会であり、フリーライダーだらけ(万人の利害が不一致)だ。隣同士のAさんとBさんの利害は殆ど一致しない。サラリーマンのCさんの利益は、別のサラリーマンのDさんの利益にはならない。親がE代議士にお世話になっていても、子はそのEを支持しない、なんていう場合もたくさんあるだろう。道路が1本通るにしても、それを喜ぶドライバーのAさん、反対するプロ市民のBさん、全く興味のないCさん、なんて利害がバラバラになるケースだらけである。個人が個人として動く社会だから、数による調整を原理とする政治向きの風土ではないのである。

だから選挙をすれば、いつも結束の強い地方が優位となる。つまり、都市から地方へ資金が移転するという「政治」が当たり前に行われることになる。

このままでは、フリーライダー(利益ただ乗り)の理論からいって、「都市優位の政治」は永久に訪れない。都市は常に地方に隷属する。都市民の利害はまず永久に一致しないから、「都市の利益」のために都市民が結束(投票行動)することはあり得ない。

だから旧保守(地方型)と新保守(都市型)では、常に結束が保証される旧保守が優位になりやすい・・・・


・・と思っていたのだが、昨今の投票行動には変化の兆しが見られるようになった。
ちょっとした意識の変化(地殻変動)が、これまでの選挙の流れを少しずつ変えてきているようである。

その流れは、一般的にはこのような見方をされる。

==
地方に目を向けている(ように見える)旧保守が、都市においてはっきりと票を落とすようになってきた。逆に都市に目を向けている(ように見える)新保守が、都市においてしっかりと票を得るようになった。

旧来の保守が都市部において得票できない、いわゆる「県庁所在地得票率逆転現象」が全国各地で見られるようになったのである。

都市と地方の対立が益々浮き彫りとなった。
==

要約するとこうなる。初めて目にしたときは「なるほど」と思ったが、どうもこれはことを単純化しすぎているきらいがある。結果としては都市と地方には溝があるのだが、どうもこれが「地方対都市」の構図とは思えないのである。

都市民は、ただ単純に旧保守を応援する義理が無いだけなのだ(フリーライダー理論の応用、つまり利害が一致しないので既得権益云々で票を集めにくい)。だから、「構造を改革するっ」と叫んでいる新保守陣営を応援する方が「気持ち的に」スマートだ、というだけの話だと思う。

旧保守というと、どうも利権とか、既得権益とか、汚職事件とか、どうもダーティーなイメージがつきまとう。それを「改革するっ」と言うと綺麗に聞こえるだけの話だ。

現状の社会が既得権益に雁字搦めの「旧保守」で成り立っている以上、それを改革する「新保守」の登場がもてはやされるのは当然である。

だから、旧保守とか新保守の対立というより、「既得権益しがみつき」と「既得権益打破」の対立とも言える。

この現象は結局、既得権益と無関係な”多くの国民”が「改革」を求めているだけの話なのである("多くの国民"- 東京・大阪・愛知・神奈川・埼玉・千葉の、人口上位6都府県(いわゆる都市型都府県)だけで日本の人口の4割を占める。都市民は利害共同体ではないから、旧保守には基本的に義理立てする必要が全くないのである)。

選挙の鍵を握る無党派層的な感覚で言えば、「自民か民主か」には興味がなく、また実は「旧保守か新保守か」にも興味がなく、結局、「既存か改革か」だけに興味があると言える。

だから、「改革政党」と思われている民主が躍進しても、自民で「改革」を訴えるドン・キホーテ小泉人気は高いままである。

そうでなくても、首相登場時のフィーバー的人気や前回の参院選の結果を考えると、保守政党であっても「新保守・改革派」を標榜していると都市部でも人気を得られるのである(仮説)。


以上を踏まえ、今回の選挙を考えるとどうなるか。

選挙の鍵を握るのは、無党派層である。無党派層というのは結局、都市的な選挙民なのだ。誰に義理立てする必要も無いから、無党派となる。地方の人口は漸減しても、都市人口は増え続けている。「お前さん(政党)には義理も何も無いよ」と考える選挙民はこれからも増え続けるだろう。

そんな都市民は決して、「民主そのものを支持」しているわけではない(本当に支持していたらこんなに多い無党派層の数字を説明できない)。どうしても既得権益と結びついてしまう自民と比べて、「何となく」「ベターだと思って」「次善策で」投票行動するだけの話である。

自民は無党派層を「敵」とみなす勘違いをしている雰囲気がある。「寝ててくれればいい」なんて名言を言った人もいるようだが、無党派層は、「政党」そのものを支持しない。現状をぶち破る「改革」を支持するのである。

だから、今回のように「改革をしようとしたらこき下ろされた・改革を支持する人はわが党へ」というスローガンを掲げれば、無党派層はそちらへ動く可能性がある。自民も民主も戦略次第だ。

ということで今回の選挙、自民と民主のどちらが選ばれるか非常に楽しみである。先の仮説は正しいのか否か。


実際、解散直後の内閣支持率は9%も上昇している(毎日参照。読売は前回と調査方法が違うらしいので資料とならず)。

分裂選挙になるから民主は棚から牡丹餅だ、というのは確かにそうかもしれないが、実際に牡丹餅かどうかはちょっと分からない。

「首相が言い続けた改革の是非を問う」という戦略を自民が取る限り、「郵政民営化」は争点でない、と言い張る事実上の「抵抗勢力」となった民主党はどうしてもパンチが弱い。

国民の目には、「"これぐらいの改革"ができなくて他にどんな改革が出来る」という風に映っている可能性は否定できないのだ。

実際、自民政権支持率は25%→38%へ急上昇。一方、民主政権支持率は35%→26%へ急落だ。小泉首相はメディア戦略が上手い人であるから、「改革をするのは私だ。」といい続ければ、この数字の通りの現象が起こり得る。

完全に新保守戦略で突き進む自民党(実際は旧保守も混在しているが)と、
新保守なのかリベラルなのかはたまた旧保守なのか分からぬまま、「抵抗勢力」のレッテルを貼られた民主党。

さてどっちが勝つのか。


もし多くの人々がこの一面的な見方、つまり、「郵政民営化=改革の本丸」という観点だけで投票行動を起こせば有利なのはどちらか、結果は自ずと明らかになってくる。

だから自民党は、「郵政民営化」だけを選挙の争点にして、国民の思考をそこで停止させることが最大の戦略となる。

つまり、「改革は自民党がやります」と言い続けるのだ。実際、民主党は郵政改革をやるつもりが全くない(労組という票田があるから)。この民主党のアキレス腱を大々的にアピールすれば、「自民党=改革」の図式を国民に刷り込ませることが可能だ。

とはいえ、やはり自民党は既得権益の王者である。自民党=改革というのは巧妙なからくりだ。
田舎のコンサートホールをこれ以上増やしたくなかったら・・・・・・・・・・・・・・

だからといって、このからくりに気付いた人が民主党に入れる・・・・
わけではないのである。

これが一番重要なポイントだ。

民主党は自民党の戦略を危惧している。民主党にとっては郵政はあまり触れたくない問題だからだ。要するに、郵政労組という票田に関わることに何も手を出したくないのである。

だから、「郵政民営化はそれほど重要ではない」というキャンペーンを貼るだろう。でもこれをあまり言い続けると、自民党の「改革は自民党がやります」キャンペーンに勝つことは出来ない。

ということで、きっと別の観点からアプローチをしてくるはずだ。予想するに、「クリーンな政治を」「政官財の癒着をなくせ」というありきたりなことを言ってくると思う。

だが、自分達は労組に配慮して「郵政民営化」という"これぐらいの改革"が全くできないくせに、どうやって政官財の癒着を失くすんだ、と言われるのがオチである。

民主党も、結局労組や何やにおんぶにだっこであるから、実はこの政党も既得権益の王者なのである。

要するに言いたいことは、自民党も民主党も、既得の権益を「保守」すると言う意味で同じ穴の狢であるということだ。

というか公明も共産も、社民も、政党という政党は、結局「支持者の利益」という既得の権益やらなにやらから逃れられない宿命にあるのだ。


つまり、政党政治そのものが既得権益の争いなのである。結局、選挙とは、権益を持つもの同士の「利益配分ごっこ」なのである。

一方で、現代的な都市型社会では、人々はどんどんと「個人化」を進行させている。

前述の通り、都市においてAさんとBさんの利害関心はまったく別である。共通の権益を持たぬ都市民は、政党政治においては全く蚊帳の外である。

だから、何党を支持とか、何党を不支持、と言わない「無党派層」が急増する。無党派層は政党を支持しない。政策を支持するのみだ。

だから、保守政党が「改革」を打ち出し、リベラル政党が「既得権益保持」を言うねじれ現象が起こっても、誰も何とも思わないのである。

今の流れで言えば、「改革」を打ち出せば当たり、既得権益を護るそぶりをみせると失敗する、ただそれだけの話なのである。

政党政治が大きな分岐点にある。1つの理念の下に党員が集い、その政策を推し進める・・という時代ではなくなっているのかもしれない。

むしろこれからは、「郵政民営化」を推し進める政策集団、「国民に痛みを与える年金改革」を推し進める政策集団、「国民の痛みを取り除く年金改革」を推し進める政策集団、という風に、政策ベースで超党派に議論が展開される時代なのかもしれない。


そうなると、旧来の政党をベースとした選挙は無意味となる。というか今回の選挙でそれが既に割れているではないか。

本来は真っ先に「郵政民営化」を打ち出すべきは自称"改革党"の民主党であるべきだ(と普通の国民は思う)。しかし、明らかにそれをしそうにない自民党が郵政民営化を打ち出し、民主党はそれに反対をしている。まともに考えて、「あれ?」である。

このねじれ現象が、現在の政党政治の弱体化を表している。旧保守も新保守も、保守もリベラルも革新も、入り乱れてメチャクチャになっているのである。

例えば、同じ政党の中で「抵抗勢力」というのはそもそもおかしい。というかその抵抗勢力こそ、自民党の本来の「本流」なのだ。その本流は裏へ隠(さ)れ、自民党の「異端」であったはずの「改革派」が本流となった(ように見える)・・・その上で、政策的に全く相容れない政党が協力している・・・

与党の中でも斯様にねじれている。

野党も決定的にねじれている。民主は「改革」を打ち出しながら労組を母体とした旧革新政党の流れを汲んでいるし(既存権益の保持)、かと思うと小沢さんのような超自民的な政治家を抱えていたりする。旧社会党系の「なんでも反対プロ市民」出身の人もいれば、中道リベラルもいる。と思ったら自民に近しい新保守派も存在する。ちょっと一筋縄では理解することの出来ない政党である。自民に負けるとも劣らないねじれっぷりである。

共産は「弱者切捨て」といって郵政民営化に反対しているが、その論理は自民の一部とも共通する思想である。

与党も野党も、保守も革新も、入り乱れて乱交状態、決定的にねじれまくっているのである。

その元凶は「自民と社会党の結託」であった。これによって日本の戦後政党政治は息の根を止められた。もはや、政党の打ち出す政策には何の意味もない。「この政党に一票」という時代ではないのだ。

政党ではなく、政策だけに注目すべき時代となった。これだけねじれているのに、今更「どの政党か選べ」と問うのは拷問である。もしかして、投票率低下の一因はここにもあるような・・・?


とにかく、「この政党に一票」という時代ではないのだ。政策だけに注目すべき時代である。

だが、既得権益をベースとした現在の政党選挙が続く限り、政策ベースの選挙は起こり得ない。票田に頼った選挙が続く限り、このねじれ現象は続くであろう。

ただでさえ「既得権益」と無関係な人が圧倒的大多数、存在するのだ。
その上政党のポリシーがここまでねじれてしまっては、嫌気が差して無党派層に転ずる人が増えるのは当たり前である。

政策をベースに人と政党を選ぶ、これが"新興"無党派層(本来の無党派層とは、元々選挙に無関心なDon't Knowグループのこと)のカタチである。

・・・あ、人は選べても、これだけねじれたら政党は選べないな。
面倒くさくなって、投票率が下がるかもしれない。一体、どう選べというんだ。


ということで今のままでは、比例区に政党名を書けないので困っている。
白票を投じざるを得ないかもしれないなぁ。

2005年08月10日

ウェブログは飽和状態に近い、と。

ある程度一般化すると、必ずそれを「茶化す」人が出てくる。
道化の存在はとても重要なのだ。

DPの「ブログ更新ジェネレーター」はまさにウェブログのパタン化を皮肉ったもの。
ttp://portal.nifty.com/koneta05/07/26/01/

※皮肉とは、それを書こうと思わなくても結果として皮肉になっているものを含むのです。
これはまさにそれ。

それから、こういう自己批判的なウェブログも。
ttp://koushinsuruna.seesaa.net/
(ネタ?)

昔読んだ本に、
10人中3人は自分の著作を訝し気な目で見ている
と書いてあった。

その通りだと思う。

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アクセス数
--

自戒を込めて言うと、アクセス数はそのサイトの面白さに比例しない。
これは言い古された言葉だけれど、この当たり前の事実を忘れたら、管理者として終わりだと思う。

「面白い」とか「面白くない」という意見を支配するのはそのときの空気や雰囲気であって、
後から見ると「何これ?つまんねーよ」とか、「あれ、やっぱりおもしれーじゃん」とかコロコロと評価は変わる。結構そういうものだ。

だから、あるときに「面白いサイト」と思われても、ずっと時代が経つと「やっぱり面白くない」という評価を下される可能性もある。逆に、見向きもされないサイトがある日突然日の目を見る・・ということがあるかもしれない。評価とは、実にはかなく、また流動的なものなのだ。

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一時期面白いといってもてはやされ、メディアミックスもして、わんさか騒がれて、アクセスが急増しても、それが一般的に認知されるようになるころにはイノベーターはとっくに飽きていることが多い。

フォロワーだっていつまでその「幻想」に浸っているかは分からないのだ。
あまりに踊らされて、気付いたときにはイノベーターはおろかフォロワーまでもが飽きてしまって、踊っているのは管理人だけ・・なんてサイトは嫌と言うほど存在する。

そういう「サイトたまごっち現象」は以前から繰り返されてきた。サイトを健全な形で存続させるためには、そんな「たまごっち」にならないよう、常に(本気で)現状を疑うしかない。

-
名言がある。「朝日とNHKが取り上げる頃には、そのブームは下火になっている」、と。
これは言い得て妙で、どんなことにも言える。

朝日やNHKに取り上げられるということは、評価が一応確立した、ということだ(らしい)。評価が確立した、というのは過去の実績が認められた、ということに等しい。

評価とは過去の実績でしかなく、今を表す基準ではない。今を判断するのはそれを見ている自分自身である。

普通は、その過去の実績からポテンシャルを推測するわけだけれども、過去にどんなに面白くても、今が(あるいは将来に渡って)それが面白いと言う保証は無いのだ。

だから、大切なことはその時々の自分の判断である。
あらゆるところからリンクされているサイトであっても、それが本当に"今"面白いのかは改めて考える必要がある。これは自戒を込めて言っている。

「あのサイトがリンクしているサイトだから」リンクを貼るとか、有名なサイトだからとりあえずリンクを貼っておくとか、メディアミックスしてすごいからリンクを貼るとか、そういう毒にも薬にもならない現象が蔓延すれば、本当の意味で面白いサイトが埋没しかねない。

もし、アクセス数に胡坐をかいて、メディアミックスに胡坐をかいて、親衛隊に胡坐をかいて、サイト黎明期にやっていたような自己研鑽もせずにのうのうとサイトを続けていたら、何の意味もないのだ。

サイト黎明期にやっていた自己研鑽とは、身を削って更新をする、ということに尽きる。

著作権に怯え、リンク1つに怯え、1ヒット1ヒットに一喜一憂した頃。
「死ね」というメールでやる気を失い、また逆に読者からの暖かい応援に涙し、アクセス1つ1つに感謝の念を込め、そして、寸暇を惜しんで身を削って更新をする、この初心がないと、等質のコンテンツを提供し続けることはできない。

加えて、常に後からやってくる新勢力に怯えなければならないのだ(僕の場合はガチガチのサイト族なので、すでにウェブログ族にはついていけなくなっている)。さらに、先人へのリスペクトをいつも忘れてはならないのだ(村八分になるから)。もちろん、同期への配慮も忘れずに・・・(村八分になるから)

サイト運営はやろうと思えば思うほど、四方八方に気を配る作業の連続であることに気付かされる。
でも、一番大切なのは、寡黙に見てくださる読者である。アクセスが増えると、どうもその辺りへの配慮を忘れがちになりそうである。

アクセスはあくまでも蓄積であり、実績である。これからどうなるか、はまさにこれからなのだ。だから、絶対に気を抜けない。アクセスは現在の人気を示す指標ではないのだ。過去の実績を示す目安でしかないのである。

だから、アクセスが多いことを人気そのものと勘違いすると、人のサイトを引きずりおろそうとしたり、安易に脱法行為をしてみたり、変な金の取り方をしたり、馴れ合いゴッコをはじめたり・・・という明らかにネジが外れたことをする(変なアクセスの稼ぎ方をする)サイトが出てくる。すでに影響力が増大していると、暴走を止める人はいなくなる。

そういうことをしても、それは一時的なアクセスの増加をみるのみ。むしろイエスマンばかりの「常連さん」だけに向いた内向的なサイトになってしまい、新たな閲覧者を受け入れなくなっていく・・・

黎明期は、読者に逆らったサイト作りをすればサイトは潰れるが、サイトが大きくなるに従って賛辞も増え、管理人も「反対する奴は読まなくていい」と硬化した態度になる。こうなったらサイトは終わりだ。サイトの中のメッセージは、もはや特定の人にだけ向けた「プロパガンダ」として終わる。もはや単なる煽動だ。「万人向け・常連向きサイト」の誕生である。

これを、サイトの縮小均衡化と呼んでもいいかもしれない。はっきり言って、常連さんはいつまで常連さんでいるか分からないからだ。

ちょっと長期旅行に出かけただけで見なくなってしまうサイトというのも存在する。ちょっとつまらない更新が続けば見なくなってしまうサイトもある。

見かけ上万人向けのサイトであっても、実はすでに「常連さん」だけに頼り始めたサイトは、こういうちょっとしたことで芯を抜かれる(中途半端でない、コアな「常連向け」サイトはずーーーっと存続するが、それは別の話)。

こうなると、凋落はあっという間だ。
新参者にとってみれば「何であのサイトがおもしろいの」ということになり、見向きもされなくなる。古参者だけで小さく凝り固まったサイトは、いずれ崩落する。

だから元から一般向けのウェブサイトを作ろうとするならば、出来るだけ馴れ合いを排除し、常に「新参」の読者を意識すること、つまり出来るだけ多くの人にオープンに、いつから読んでも分かる「読みきり」の形でコンテンツを構築することが必要なのだ。

これは「こち亀の法則」といってもいいかもしれない。30年もジャンプと言う生き馬の目を抜く激戦区で連載を続けられる(もはや打ち切りはありえないが)のは、それが「読み切り」だからである。いつ、どこから読んでも楽しめる(あるいは少なくとも内容が分かる)、これが重要なのだ。

こち亀で興味深いのは、人によって「面白い」「面白くない」と感ずるツボが大きく違うところにある。人情物が好きな人もいれば、緻密な取材によって描かれた職業体験物が好きな人もいる。フィギュア物が好きな人もいれば、部長と両津との兼ね合いを好む人もいる。人それぞれ、「ツボ」が違うのだ。こういう<読切ごった煮法>を行うからこそ、長く続けられるのである。読み切りでなければ決して出来ない芸当だ。

この漫画は、どうしても時代の空気に左右されやすい「人気」に頼るだけのアンケートでは順位をとり難いといえる。ただ、長い目で見れば続くのはやはり「読切ごった煮」の方なのだ。

サイトも同じである。どうしても「時代の申し子」的なサイトは存在する。メチャクチャにヒットするサイト、書籍化するサイト、どう考えても中身がユルユルなのに本になってしまうウェブログも多数存在する。これは仕方がない。アンケートで人気を得やすいタイプの、いわばビジネス的に使えるサイトなのだから。

こういうサイトは、内容はともかく(もちろんおもしろいものもあるが)、ビジネスとして成立するのだから、それを上手く利用しようと(お金にしようと)考える人に寵愛され、その結果、読者はうまーく、うまーく動かされて(動員/煽動されて)アクセスを集めることとなる。

そういうサイトには、そうなるだけの「何か」が潜んでいる。その時代に不足していた何かのビタミンが含まれているのである。人々は、それを潜在的に欲している。だからヒットするのだ。ビジネス的に。

ただ、ビジネスは流行り廃りがある。はっきり言って、「(自主規制)」みたいなアレが10年20年ともつコンテンツだとは思えない。でも、それでいいのだ。それはそれ。

一方で、決して「トップクラス」の人気を誇るわけではないけれど、コツコツと、地道に続いていくようなサイトが存在する。こういうサイトは、内容に比してアクセス数こそ少ないけれど、変に注目されることがないのでむしろ息が長くなるのだ。

ある程度サイトが何らかの定評を得てくると、自分がそのどちらのタイプの人間なのか、分かってくる。ただ、そのどちらを選ぶかは管理者が決めるのではなく、読者が決めることなのだ。

一挙に「たまごっち」となっていくのか、それとも息長く続いていくのか。
さあどっちだ。

必要なのは、必要なときに、しっかりと忠告や文句を言ってくださる読者であり、
そして何よりも、いつも寡黙に閲覧してくださる大多数の読者の皆様である。

アクセス1つ1つをかみ締めながら。


(追記)
本の売り上げランキングが1位でもその本が自分の興味に合うかは分からない。
CDのヒットチャートも同様。

ランキングはビジネス的に成功しているかどうかの単なる指針であって、
質そのものを問うている訳ではない。

視聴率も同じようなものか。

参考にはなるけれど、判断は自分でするしかない、という意味で。

「視聴率」より「視聴質」という無意味な議論があるが、
あれは「偏差値」より「真の学力」とか言ってる人たちと同じだな。

「視聴率」や「偏差値」というのはビジネス的に成功しているかどうかの重要な指針なのだ。
これは量の概念であって、質的概念ではない。これを対立視するのは文系的発想だ。

視聴率も偏差値も、アクセス数も、ビジネス的な「数字」で考えると実に意味があるのだ。
PVが500のサイトと10万のサイト、どちらがビジネス的に意味があるかといえば明らかに後者だから。

偏差値そのものは悪くないのと同様、アクセス数のカウントやランキングそのものを悪者扱いするのはおかしいのだ。

それとは全く別に、「質」の問題が存在する。

ヒットチャートはヒットチャートとして、意味がある。
だが、そうではない概念も存在する。それだけの話だ。

--
脱・ウェブログ
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トップページのウェブログ化をしたい、と何度か思った。

それとなくサイト上でも言っているのでメールやコメントを頂くが、圧倒的大多数の方は「ウェブログ化しなくていい」と仰っている。

「今のままでいい」
「ウェブログにするとつまらなくなるケースが多い」

という意見が多かった。後者は、やはり重要な視点だと思う。
(僕もそう思います)

管理者としては、どうしても「更新がラク」で、「検索サイトとの親和性が高」く、「アクセスも恒常的に集めやすい」ウェブログを選択してしまうのだ。

しかし読者的には、もうウェブログに食傷気味。これは本当によく分かる。短い文章でもサクサクっと更新できてしまうから、酷いものはリンク1つで1エントリというものも。これも立派に検索サイトに引っかかるので、本気で情報を検索している人にとっては厄介でしかないのである。

今はあまりいないと思うが、慣れてない人から見れば「どこから読めばいいのかさっぱり分からない」のもウェブログの特徴である。いきなり「このウェブログがおもしろいよ」といわれても、正直「??」だ。

以前も書いたが、ウェブログは生半可なものではすでに飽和状態である。もはや読み手には飽きられている。書き手が余程の有名人か、あるいは「書籍化しやすいネタ」を書いているかか、果ては誰も考えないようなネタでやっているか、あるいは余程文章のQOLが高くないと無意味である。

だから、今からウェブログというのは単なる冒険野郎なのだ。オマケに相当マシになったとは言え、iswebのサーバーがMTと親和性が低く、MTの再構築(全ページ)でほぼ確実にエラーが出る現状ではどうしようもないのである。

・・・ということで当サイトはいつまでも「ほーむぺーじ」として頑張っていく所存だ。

なお敢えてウェブログに似せているのは何度か書きましたが仕様です。更新箇所が一目で分かるようにするにはトップページに分かりやすく雑記を載せてくるしかなかった、ただそれだけの話なのです。

そうでもしないとサイトのリピート率が減ってしまうんですね。ウェブログの普及が、Webサイトの形態をも変えているわけです。

これからも脱ウェブログでいきます。

2005年08月09日

反省いろいろ

色々と読者の方からメールやコメントをいただく。
今回はそこから得た反省を。

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脱・馴れ合い
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僕は反省した。心から。
サイト上で馴れ合いをするのだけはやめようと誓っていたのだ。はじめたときに。

だからオフ会の要請があっても全てお断りしてきたし、
サイト上で過度に他サイトさんのことに触れるのもやめてきた。

とにかく、このサイトが「閉じたコミュニティ」になるのが嫌でたまらなかったのだ。
あまり管理者の情報は出さず、かつ、出す情報は全て無料でオープンに、これこそインターネットでWebサイトを個人で作る最大の楽しみと信じて疑わなかった。

そこへ最近のmixiの参加告知(サイト上)である。
サイト上で告知をしてしまったのは明確に誤りだった。この件に関しては、お叱りの言葉、残念との言葉、「サイト上でmixiのことを書かないでほしい」との直言、「ちょっと疎外感を受けた」等々、様々なお言葉(ご抗議)を受けてしまった。

とにかく大反省である。

実は僕は、mixiへの参加を何度もお断りしてきた。
そのたびに罪悪感に苛まれてきた。

それはこれ以上ネットに時間を割けないという物理的な意味もあったのだが、
何よりも大きな理由はまさに「馴れ合い」を防ぎたかったからだ。

もちろん、誘ってくださる方々は何も悪くない。こちらの都合でお断りしていたのだから、本当にわがままでごめんなさい、と謝り続けるしかない。今も本当に申し訳なさで一杯だ。

とにかく今回、縁あってmixiに参加することになった。セカンドコミュニケーションツールになればいいな、と思ってサイト上でも告知した次第である。

なお、そこから私のmixi参加を知って、登録してくださった読者さんには頭が上がらない。本当に心から感謝を申し上げる次第である。

さて。実際使ってみて分かったが、mixiは使い方を誤ると泥沼の「馴れ合い」になるが、日常の「ツール」と考えると、それほど心配することはないことが分かった。

むしろ、新しいサイバー・コミュニケーションとしてこれまでには無かった、新鮮な感覚をもたらしてくれる。ヌルい連帯意識みたいなものがあってなかなか。これを魔力と捉えれば魔力なのだけれど・・・

ただ、サイトでの馴れ合いはコンテンツの質を落とすことに繋がりかねない。mixiとサイトは全くの別物である。というかmixiにサイトのことを垂れ流すのはよくないということがよく分かった。

このままだと(サイトとmixiを同一化すると)、サイトもmixiも続けられなくなる危険がある。
読者との距離は程よくなければならない。くっつきすぎても、離れすぎても思うようなことが書けなくなるから。

この観点は重要だ。サイト上で無関係の人の宣伝をしたり、私信を書いたり、自分の宣伝ばかりやっていたら読者は愛想をつかして消えていく。サイトが作者の手を離れれば離れるほど、コンテンツの質は薄くなっていくのだ。実際、メディアミックスをしすぎた個人サイトは概ね、弱体化している(近しい例としては「アニメ化した漫画の連載が急につまらなくなるケース」を考えるといいかも)。

つまり、サイトだけの関係が、いつのまにかあのメディア、このメディア、やのメディア・・・となっていけばいくほどその内容的な密度が薄くなるのである。関係性が濃くなればなるほど、サイトと連関した密度は薄くなっていく・・・・・・

ということで、なるべく接点は少ないほうがいいという風に考えている。サイトのことはサイトで自己完結させ、他の部分では他の人格として行動する。これこそ、サイトを永く(少なくとも等質で)もたせるための秘訣ではなかろうか。

だから、mixiに参加したことはともかく、そしてそこで読者の意見をかなり至近に受けられたことはともかく、それをサイト上で告知してしまったことは、もしかしたらマイナスだったかもしれない。多くのご意見を頂いて思ったのである。

不特定多数に向けて書いているつもりが、判断を見誤ってしまったようだ。

・・・と、ぐるぐると変なことを考えるほど、僕は「個人サイトと馴れ合い、メディアミックス」の問題に非常に関心を持ち、かつ、常に頭を悩ませている。

どうも「読者的感覚」ではそういうのが、「ケッ」と見られる対象のような気がして。少しでも管理者と読者との間に軋轢が生じるようなことは避けたほうがいい、なんて考えたりして。

そんなに怯えているのに、まさかのmixi参加告知。これはこれまでのポリシーに反しており、不覚そのものであった。取り敢えず、サイト上で告知するのはやめたし、消したし、二度とmixiの文字がこのサイト上に出てくることはない・・・・だろうと思う。

何人かの読者さんからは「不快になった」「サイト上でmixiと言われるとちょっと疎外感がある」などと言われてしまった。本当にごめんなさい。二度とバカなことは書きません。

心の底から反省しています。

こういう「馴れ合いツール」は、こっそりやるものなのですね。

勘違いでは済まされない。
もう一度気を引き締めねば。
調子に乗りすぎると墓穴を掘るだけだ。

広告ブロック
ttp://www3.ocn.ne.jp/~techu/stop_jword.html

Firefoxを使う人であれば、もっと確実にブロックできるツールもあるわけですが。
あのポータルのあの広告すらカットしてしまうという・・・モゴモゴ

ウイルスソフトでも似た様な機能、ありますね。

この「編集雑記」ですが、
小さく載せている割には読んで下さる方が結構いらっしゃるようで。

ありがとうございます。

やっぱり「ブログ」って語感が悪いよなぁ・・

「ウェブログと言おう運動」でもしないと大変なことに・・

【今の日本政治の構図】

(与党)---------------------------------------------

改革派(新保守、ネオコン系) − 協力党(革新系)


分裂

保守派(旧保守系)
---------------------------------------------------

(野党)---------------------------------------------

改革派(リベラル系 − 新保守系)

無頼派(革新系)

その他(旧革新系など)
---------------------------------------------------

与党が「このままではまずい」と改革を打ち出すが、
同じ与党の中で「このままでいい」と改革を打ち止めする。

では野党が「このままではまずい」と言うのかと思ったら、
どうもそうではないらしい。

とにかく「取り掛かり」をつけて出来るところから改革をするというのが
国と地方併せて1千兆円だかなんだか知らないがそれだけある債務削減への喫緊の課題なのだろうが、どうもそれはどうでもいいらしい。

与党にはすでに新保守、旧保守、そして革新が紛れ込み、もはや判断つかぬ状態。
野党も酷い、誰がリベラルで誰が保守かさっぱりわからない状態だ。しかも一匹狼がいるためにいつも与党反対票は「仲間割れ」状態を引き起こす。かつての大政党も若干残っているのがもはやギャグ。

・・こんなぐちゃぐちゃな状態で国民に何をしろと言うのか。どう判断すればいいのか。

小選挙区は地縁、地縁で何とかなるだろうが、
比例区はどうなる。このままでは選択のしようがない。

一回政党政治そのものの仕組みを構造改革してはどうか、と思うけどなー。
このぐちゃぐちゃな主義主張を何とか組み替えないとどうしようもない。

2005年08月08日

DPの林氏の「ブログ更新ジェネレータ」がプチ流行した。
ttp://portal.nifty.com/koneta05/07/26/01/
これはやっぱりおもしろい。凄い。

で、これは皮肉だ。ウェブログの記述形態がパターン化しているから、こういうパロディ的なツールが出てくるのだ。

このツールを使えば、

頼んでもいないのに今日のランチの写真が出てきたり、
読みたくも無いのに誰かの詩が登場したり、

聞いてもいないのに勝手に私信がついていたり(メールでいいじゃん)、

等々、
ウェブログが実は機械的な惰性そのもので書けてしまう事が見事に証明されるのである。

ジェネレーターで書いても、
実際に書いても、そのクオリティが変わらないというのはやっぱり皮肉でしかない。

別にいちいち干渉することではないが、
何だか「面白くない」んだよなー(内容というより、形態が)。飽和状態。誰もが本心では、どれもこれも似た様なウェブログばかりになってきていて飽きているはずだ。同じようなデザインで同じようなことを誰もが延々と続けていたら、もうダメだ。 ・・・という気がする。

さあどうしよう。

取り敢えず言えることは、こういう皮肉をサラッと書ける人は天才であるということ。

2005年08月06日

勝てば官軍、という言葉がある。

原爆を投下した乗組員の言葉(戦後60年)
「他に道はなかった。後悔していない」 (時事通信)

敗戦した日本は過去の「罪」を負い続け、近隣諸国に謝り続ける。
勝った国はその"罪"を問われない。謝ることもない。

とするならば、
日本人のするべきことは、「他の事で見返す」ことである。

さてどうするか。


■「ブログ」の語感の悪さについて

これだけ流行するともうどうしようもないが、「ブログ」という言葉、語感が悪すぎて耳に障る。はっきり言って、格好悪い。

元々「Weblog(ウェブログ)」という素敵な名前があったのに、何でもかんでも省略する悪弊が祟り、いつの間にか「BLOG(ブログ)」になってしまった。

この名前、何とかならないものか。

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「ブログ」という言葉のせいで、「ウェブログ」を書くのを断念している人もいるはずだ。物凄くダサい。この言い方、何とかならないものか。「ブロガー」とか聞いた日には、頭がイカれちまうぜ!

しかし今更「ウェブロ」もないだろうしなぁ。「ウェブログ」って言う人が増えることを祈りますよ。

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なお、サイト本編を「ブログ」と勘違いする方がいますが、本編は旧来の「Webサイト」です。どうぞお間違いのないように。

更新が一目で分かるように、敢えて頻繁に更新する雑記(←日記ではない)をトップページにもってきているだけの話です。アクセスをウェブログ並に恒常化させるための工夫に過ぎません。

2005年08月05日

厚顔無恥

非営利・匿名個人レベルでサイトを作る最大の利点は、
「提灯記事」を書く必要がないことだ。

2005年08月02日

以前、たーーーーーくさんの「ホームページ」で見かけた
This page is Japanese (←Language) Only の表記

今は殆ど無いが、やってみた。

このサイトは日本語で記述されております。
This site is described in Japanese.
這個站點用日語被記述。

(以上参考:Excite翻訳)

Diese Stelle wird in Japanisch beschrieben.
Ce site est décrit en japonais.
Questo luogo è descritto in giapponese.
Este sitio se describe en japonés.
Este local é descrito em japonês.
(以上参考:livedoor翻訳)

よく、「理念が大事だ」っていうので。
サイトの開設理念を考えてみたことがある。


憂鬱の時代である現代。少しでも鬱屈とした気分を晴れさせることができるような「息抜きの場」の提供を通じて、世の中を明るくしたい。

現代社会は内部環境において無機的な競争が激化し、外部環境において人間的スケールを超えた都市化が進み、ややもすると「人間性」そのものが喪失されてしまっている状況にあります。現代人 ・現代都市が内的外的に無意識に抱えるストレスの大きさは、日々等比級数的に拡大しているといっても過言ではありません。この鬱屈とした空気といったら!たまらなく苦しい!! 「人間性の回復」は、現代社会に課せられた急務なのであります。

管理者は、「人間的スケールを感じられる、街角の面白いもの」を紹介し続けることで、現代都市における「人間性の回復」に挑戦します。人間性の回復こそが、現代社会、ひいては現代人を無用のストレスから解放し、「人に拠る社会」の持続に寄与するものだと信ずるからです。

誰にも注目されないような街角や路上の面白いものを発掘し、本質を見据え、付加価値を形成することで、よいものを社会に残していきたい。

世の中には、戦略によって価値づけられたブランドが無数に存在します。「夏は九十九里よりも湘南!」「○○線沿線よりも△△線沿線に住みたい!」「あのタレントが出てる○○を買おう!」・・・・・・これは、本当に正しいのでしょうか。何が根拠となっているのでしょうか。「一億総中流国家」である日本においては、九十九里も湘南も、○○線も△△線も、あの商品もこの商品も、本質的には「大差ない」のです。

「大差ない」からこそ、企業は必至になってイメージ戦略・マーケティング戦略を追求するわけです。しかし、それはどうしてもコスト的に「マス・マーケティング」の発想にならざるを得ない。しかし!「マス・マーケティング」では「大差ない」社会をますます「大差なく」するだけなのです。日本中どこへ行っても似たような街ばかり、似たような商品ばかり・・・これは、マス・マーケティングの為す大きな大きな罠です。

だから管理者は、こうしたイメージ戦略やマーケティング戦略から「漏れているもの」に、むしろ価値を感じます。裏返しの発想になりますが、これまで「注目されてこなかった」ということは、 ただ単純に「気づかれていない」だけか、あるいはまだ「磨かれていない」ということになります。誰もが無視するような路上の「石ころ」−これが、予想外の可能性を秘めていることだってあると思うのです。「ニッチなニーズを掴む」・・管理者は、これに賭けます(賭けると言うか、ただ単にそちらに進みたいと言うか・・)。

物事の本質を冷静に捉えなおし、あるいはゼロベースで見直し、むしろ「誰にも注目されないようなもの」を発掘することを通じて、そのものに付加価値を与え、本当に「よいもの」を残していきたいと考えます。

→当サイトは、「人間的スケールを感じられる、普段は誰にも注目されないもの」を紹介することを通じて、「次の世代へ引き継がれるべき社会」「本当によいものを残せる社会」の形成に寄与していきます。

これ、本気です。本気ですが、言葉にするととっても胡散臭いな。
「いいこと」ばかり言う人間はそもそもが胡散臭いのである。

本音は、「楽しくやろうぜ!」なんですがね。
理屈っぽく言うとこうなるわけですよ。

いい感じの「棲み分け」が出来ている。

平常時、本編のアクセスはどんなに多くても5000pv/日(10000pvというときもあったようだが)、通常は3000pvほどだ。アクセスにすると1000 - 2500くらい。

ウェブログのアクセスは、瞬間風速的に多いときは数万pv/日、通常は統計を取っていないが1000pvほど。アクセスにするといくときは1万−数万、通例は1000もいかないかもしれない。うーむ。

とするとこのサイトのアクセスの大きな部分はいつも「瞬間風速」に頼っていることになるが、これは現代的といえば現代的である。

要するに、人はコンテンツだけを見て、サイトを見ないのである。ウェブログは特にそうだ。エントリだけを見て、サイトそのものは見ない・・・

5万人の人が来て、1000人の人がリピーターさんとして残れば御の字である。アクセスとは、そういう性質のものだ。

もちろん、いつも「瞬間風速」級のアクセスを集められるようなサイトになれればそれは実にナイス!なのだが、残念ながら僕にはそんな力はないようである。・・じゃなかった、そんなことを僕はしなくてもいいのである。

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ニュースサイトをはじめとして、情報の集まるところに人は集まる。これは経済的であり非常に理に適った行動だ。さらに「有名サイト」という箔があれば、かなり大きな手形となる。

一方で、そうしたサイトに取り上げていただくサイト(一次情報源)、と言うのが存在する。幸せなことに、このサイトも何度かニュースサイトさんにとりあげていただいた。この意味で、「一次情報源」となり得るサイトであると(少しだけだが)考えている。最近はその「棲み分け」の法則が分かってきたように思う。

需要と供給と言うか。何と言うか。
ニュースサイトさんがなかったら、僕はとっくに閉鎖をしていただろう。モチベーションの度合いが、違う。

僕のサイトは決して「常習者」向けのサイトではない(読み切りを基本としているというごく当たり前のことだけでなく、そもそも扱っていることが「街の変なモノ探し」なので・・一般的な広い理解を得られるとはあまり思っていなかったりする)という宿命があるが、だが、一方で「情報の提供者」としての役割を果たすことはできるのではないか、という一縷の望みがある。

この望みをかけて、今日もサイトの更新に励もうと努力してみる(回りくどい言い方だ